認知症が進む親を見るのに疲れてきたけど、こう考えたら少しだけ気が楽になった

投稿日:

両親の認知症が進んできました。

認知症の家族を見ている方なら誰でも「なんでここまで困らせるの?」「どうしてそんなことするの?家族の心配もわからないで…。」と嘆いたことがあるのではないでしょうか。

私も、あれだけしっかりしていた両親が、わけのわからない行動ばかりする情けなさや

明日の予定も立てられないほどこちらの生活をかき回されることに我慢の限界が来ていました。

もういやだ!と何もかも投げ捨てたくなったとき、唐突に浮かんできた考えがありました。

ああ、そうだな、こう考えれば、そうだよな…

それ以来、両親への気持ちが和らぎました。

もしかしたら、同じように認知症のご家族を見ることに疲れてきた方の参考になるかもと思い、記事にすることにしました。

スポンサーリンク

レクタングル大

認知症の親との生活・両親の場合

私の両親も、日々認知症が進んでいます。目が離せません。

当然、両親の行動にも目を光らせなければいけません。

両親の希望通りの生活を送らせてあげたくてもできないのです。

ですが本人たちは自分が認知症だという自覚が全くないので「自分たちはこれまで通り普通に生活しているだけなのに、年寄り扱いして生活を規制しようとする娘に腹が立つ。」という考えのようです。

  • 徘徊しては転んで怪我、少し直ってはまた歩き回って転倒、怪我の繰り返し。
  • 他人に攻撃的になり、主治医や看護師の悪口を毎日言い続ける。

悪口を言うことで少しはストレス発散になっているのかとは思いますが、それを四六時中聞かされるこちらはストレスが募る一方です。

  • 忘れる。とにかく忘れる。

たった今自分が話したことを全て忘れ

「誰がそんなこと言ったの?私?私がそんなこと言うわけないでしょ。

あんたはどうしてそんなにデタラメばかり言うの!

ウソをついてまで、親を悪者にしたいの?」

と私が責められる理不尽さ(笑)

  • 元々の長所が仇になる

両親は元々几帳面な性格で、特に物を出しっぱなしにすることが嫌いでした。

今も目に入る物は何でも引き出しなどに片づけてしまいます。

定位置に片づけられれば問題はないのですが、そうじゃないから毎日毎日、一日中探し物。

自分がどこに片づけたか忘れておいて、あの人が盗った、あんたが隠したと全部ヒトのせい(笑)

母の奇行の一例

もう病院に行く時間だからと、私がテーブルの見えやすいところに置いておいた財布や鍵、保険証などが、ちょっと目を離したすきに全て消えています。

母が片付けてしまったのです。

そしてどこに片づけたかきれいに忘れていて、しかも自分が片づけた事さえも忘れています。

少ない本数のバスを逃してはいけないので、私が大急ぎで探し回ることになります。

私が時間を気にしながら必死で探している横で、母は

「財布や鍵なんて最初からこの家にはないよ。」

と涼しい顔。

やっと見つけると今度は

「きちっと片づけないからそうやって探し回る羽目になるのよ。今度からはちゃんと片付けなさいね。」

いや、ちょっと、アンタね…。

財布と鍵と保険証を母と一緒に母のカバンに入れ、今度こそ出かけるよと靴を履こうとすると、母は

「引き出しに片づけたはずの財布と鍵がない!」

と騒ぎ、ここにあるでしょとカバンを開けてみせると

「なんで財布と鍵と保険証を私のカバンに入れるの?

今日はどこへも行く用はないのに。」

と奥へ引っ込み、椅子に座って動こうとしません。

半日に1本しかない病院行きのバスは行ってしまいました。

もう今日の診察は受けられません。

何のために私は電車とバスを乗り継いで、実家の母を迎えに来たんでしょうか。

自分が認知症という自覚がないため、病院やスーパーなどには好きなときに一人で行こうとします。

ですが、父も母ももう一人で出歩ける状態ではありません。

自分の住所も電話番号も言えません。

目的地の屋号や、最寄り駅も言えません。

家を出たら最後、行くことも帰ることもできずにさすらい続け、また他人様にご迷惑をおかけするでしょう。

自分がそんな状態になっているとは想像もしない親は、こちらの目を盗んで出かけようとするため常に目が離せず、後をついて歩き、戻るよう説得します。

本人は「どこでも一人で行けるのに、邪魔された。」と怒り心頭です。

父の奇行の一例

近所の病院の廊下を「ここに自分のデスクがあるから」と意味不明の発言をしながら延々と歩き回る父を

「ここは会社じゃないよ、もう帰ろう。」

と繰り返し言いながら追いかけまわす私。

のどはカラカラ、脚も疲れてもう一歩も歩きたくないのですが、父は歩くのをやめません。

こんなときの老人のパワーは一体どこから来るのでしょうか。

やっと父が立ち止まったのでほっとしたら、父は私を

「おまえ、さっきから俺を付け回して、何を企んでいるかくらいはわかっているぞ。」

と睨んできました。

自分の生活をほったらかして、自分の旦那と子供にも犠牲を強いて両親に尽くしているのに、なんでこんな思いをしなきゃいけないのか。

あんなに頭がよかった父はどこへ行ってしまったのか

ウッカリさんだけど、人の話を聞く耳だけは持っていた母はどこへ消えてしまったのか。

今、私の目の前にいる老人たちは、本当に私の両親なのか。

認知症は、こんなにも人を変えてしまうのか。

毎日そんな思いにとらわれて、私の方がおかしくなりそうでした。

これは子供からのお返し

なんでこんなに親を心配しなくちゃいけなんだと思うけど、思い出してみれば自分も、今まで親に心配かけ通しの人生だったなと。

自分が生まれてから今に至るまでを、頭の中で詳細に詳細に再現してみました。

自分の記憶と、親から聞いた話などを合わせて、映画を見るように親と自分の数十年間を見直していると、親へのネガティブな感情がスルスルと消えていきました。

小学生の頃

当時の私は気が弱すぎて、先生や他の子たちに言いたいことも言えず、ただモジモジしながら人の後を着いて行くだけの毎日を送っていました。

もっとハッキリ発言しないと、もっとしっかり自分の考えを持たないと、と両親は私の将来を大変心配してくれました。

中学生の頃

親の望む優秀な高校は無理で、中堅高校にしか進学できないと判明したとき。

母はこの世の終わりとばかり嘆き、怒りました。

私にも言いたいことはありますが、親なりに私の将来を心配してくれていたことは確かなので。

高校生のとき

国立大学はとても無理、中堅私立大にしか行けないと判明したとき、母はもう明日にでも地球が滅びそうな勢いで嘆き、怒りました。

そのとき両親は金銭的な問題も抱えていたので、私立大の学費を卒業まで払い続けてやれないのではと心配していたのです。

仮に卒業できたとしても、中堅私立大学なんて行って、ろくな就職先はあるのか?という心配もしてくれました。

私にも言いたいことは(以下省略)

就職活動、その後

親の希む公務員か超一流企業は無理で(以下省略)

言いたいことは滅茶苦茶ありますけど(以下省略)

最初に就職した会社は2年で退職し、その後一年間専門学校に通っていた間、収入のない私は親に頼るしか生きる方法がありませんでした。

その間は、母はかなりガミガミと心配してくれました。

父は私が何を言っても無視することで、私の生き方に警鐘を鳴らしていました。

ええ、言いたいことはね、もうね。

社会に復帰してからも、私はあれこれやらかしました。

こうして考えると、親には心配の掛け通しだったなと。

それに対して、今まで私は何のお返しもしてきませんでした。

今、こうして親の残り少ない時間を共に過ごし、心配して右往左往してあげるのも、少しはお返しになっているのかな?

本人たちはちっともそう思っていないだろうけど。

これは私の独りよがりな考えかも知れません。

でもかつて面倒みてもらったときに掛けた心配を、今はこうして返しているのだと思うことで、私はもう少し頑張れそうな気がしています。

レクタングル大

レクタングル大

おすすめ記事と広告



-独り言をつぶやいてみた

Translate »
error: Content is protected !!

Copyright© 映画とバレエと小銭と私 , 2018 All Rights Reserved Powered by AFFINGER4.